映画を見る直前に思い出してしまった。
この映画の結末を知ってるのも関係してるかもしれない。

あんまり信じてはもらえないだろうけど。

中学生ぐらいから、正夢なのかデジャヴなのか、これから起こる未来について見える時がある。
それは夢の時もあるし頭によぎったこともある。その時は大してなんとも思わないんだけど、実際にその未来が迫った時(一ヶ月前とか)にまた思い出すんだ。これは以前頭によぎったことだと。

良いことは起きない。想像した未来にならないように回避はできる。それでも良いことは起きない。

例えば、はっきりしないが性別や身丈や間柄まではわかる人とケンカしてるイメージをずいぶんと昔に思い浮かぶ。で、それが現実となるその一ヶ月前ぐらいに思い出して、ああ、これ回避しなきゃとあえてその人と接触しないとする。でも、ケンカこそしないものの関係は良くならずに気まずくなったりする。
災害とか規模の大きいものは予測できない。自分とせいぜい一人ぐらいの範囲でしか分からない。

仕組みはなんとなくわかってはいる。
何か選択を迫られたら、起こりうることを何、何十パターンか考える。
習慣的に行ってるとそれが自動化される。夢の中でもね。
そのパターンをライブラリーとして頭の片隅に保管しておいて、いざそうなるだろうというときに自動的に頭に浮かぶようになってるんじゃないかと。

なんで良くないことを思い出して、良くない結果になるのかは分からない。ネガティブな事のほうがインパクトが強いから記憶に残りやすいのかもしれない。あるいは動物的な危険予測の応用だからかも。

良くないとわかっていて何か行いをするとなると、すごい空虚な気持ちになる。
何やったって空振るのはわかってるんだもの。
でも、出来る限り足掻いていつかは良い結果にひっくり返せると思ってる。
そういう楽天的なところもあるのでわたしはだいじょうぶです。

今日はいま考えていることについて良くない結果を思い出してしまった。
相手がいる場合は相手の最善を考えて精一杯もがきたい。自分の蒔いた種だし。




映画アメリカンスナイパーを観てきた。
予告編見て見事に惹きつけられてしまった作品だ。

ロートーンな作品で、アメリカ万歳ー!でもなければ、戦争は悲惨なものだぞどうだ―!って見せつける映画では全然ない。エンターテイメントでもなければ、主人公の内面をものすごく迫って感情移入させるって感じもなし。そういう映画にもいくらでもできたのにあえてそうしなかった印象を持った。音楽はほぼ無し。高度な判断を迫られる戦闘の緊張感はすさまじいものだけど、映画ネイビーシールズで本物の動き見てるとちょっと間抜けに思えた。

主人公クリス・カイルの戦場と家庭での日常を繰り返すんだけど、濃くは描かれずに淡々と戦地にいく。これがすごいリアルに感じた。
徹底して盛ってみせることを排して静かに無言で語りかけてくる。
気持ちが宙ぶらりんになる不思議な映画だ。が、いい映画であった。

以下文字色反転ネタバレ
カイルの幼少期にお父さんが、世の中には三種類いて、番犬、羊、狼がいる。お前が番犬になれと教え込まれる。体格も良いし、小さい頃から狙撃の才能にも恵まれている。
彼の戦績や葛藤こそあれど子どもだって平気で撃ち殺し、退役後に自らだって苦しいのに退役軍人のために活動するのはやっぱり並外れた精神力では持ち主ではなかったと思う。

子どもとじゃれあう番犬につい手を上げてしまうシーンで自ら殺してきたのは狼じゃなくて番犬であったことの暗喩だと思う。蛮人だからとか祖国のためとか精神を保つために言い聞かせてたけど、薄々気づいてきたんじゃないかなと。敵もまた大義を持って戦ってるていうテーマであれば、ライバルのスナイパームスタファを掘り下げてもいいけどもそういうテーマではない。残酷なまでに冷たい目線で、クリス・カイルを一人の人間として寄り添わないで扱うのがテーマなんじゃないかなと。だから英雄視しない。盛り上げない。何をどう思うかは観客に任せる。無音のエンドロールは(追悼もあるけど)そういうことなんじゃないかなと。だからといって戦争について無茶苦茶に考えこませるわけでもないので珍しいと思う。モヤモヤする。でもそれがじつに効果的なんだよね。







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