2012年リリースのちょっと古いゲームですが、ツイッターのタイムライン上ではなぜかいまごろ話題になっていて、プレゼントで頂いた(あるしあさんありがとう!)ので一気にクリアしました。

基本はシングルプレイの三人称視点のカーバーアクション重視のシューターです。
三人称シューターとしては凡作ではあるんですけど、テンポ感は良い方でちゃんとシューターとして一定の水準をクリアしてるので楽しく遊べます。要所要所で難しいところもあるんですけど、難易度設定ができるのと、味方がいるのでシューター慣れしていない人でもおそらく楽しめます。ゲーム性よりはお話がやっぱり面白いところだと思うのでそちらを中心に書きます。

このゲームについて語るとネタバレにしかならないので、この先はまずはクリアしてから読みましょう。
クリアしたからといってやや説明不足なストーリーで、たぶん意味不明だと思います。
秀逸な考察とレビューがあるので細かい点はそちらを観てください。

PCゲーム道場 ストーリー考察

Spec Ops: The Lineという化け物の話をしたい。



ゲームはメディアアートの一つだと思っていて、プレイヤーが操作することでゲームは初めて動きだすし、ゲームもまたプレイヤーに反応を返すことで成り立つ。この相互作用(インタラクション)がゲームをゲームたらしめる要素になっている。プレイヤーが能動的に選択し、それにゲームが応える仕組みだ。

逆に言うと遊ばないと一向に動かないので、まずプレイヤーには遊び続けてもらうモチベーションを考えなきゃならない。ストーリーと目的を付けるのは一つの得策だ。とてもシンプルな例はマリオで、お姫様が捕らえられていてそれを助けに行くというストーリーになっている。

このゲームもコンラッドという英雄が率いる第33大隊の救助が目的だ。すごく大雑把に言えばマリオと似たようなものだ。
が、このゲームは「地獄への道は善意で舗装されている」ということわざのように、というか何をやっても裏目に出てしまう。

第33大隊を助けに来たのに気づいたら第33大隊と戦っていた。白リン撃たれて野郎ぶっ殺すと思ってたら使う側になってた。しかも民間人まで巻き込んで。コンラッドの救出もコンラッドをぶっ殺すことにすり替わっていた。それですべてが終わる。と思い込んでいた。

・個人的な解釈での時系列
砂嵐による被害でドバイ情勢の不安定化。
鎮静化を図るために第33大隊投入。
第33大隊、あまりにも混乱がひどいために見せしめをしたり、厳しい対処に乗り出す。
コンラッドは葛藤し狂い始める。
第33大隊内でも強行統治派とその反対勢力で分裂。
ドバイでの恐怖政治隠蔽のためCIAが投入される。
CIAが民間人を煽って第33大隊と抗争状態にさせる。
コンラッド自殺
ウォーカー率いるデルタフォースが投入される。
白リン弾使用して民間人を巻き込む。ここで狂気の一線
(タイトルのthe line)を越える
ヘリ戦で墜落して死亡(ゲームの一番最初)。
死後の世界でウォーカードバイ入りからまた追体験をする(ゲーム開始)。
ヘリ戦二回目。
死んだコンラッドと対峙。

CIAが投入されたあとになぜウォーカーがドバイに投入されたのかはよく分からないけど、CIA対第33大隊が膠着状態になってしまったので崩壊の決定打として送り込まれたのかなぁと。事前にウォーカーの狂気性を見抜いてたとかで。その目的なら完璧に役割をこなし、アメリカは目論見通り隠蔽できて目標達成。

コンラッドにしてもCIAにしても民間人にしても、ラジオDJしてもそれぞれの目的(善意)のため、あるいは生き延びるために最善を尽くしている。
信念を貫くとか職務をまっとうするとか聞こえはかっこいいけど、意固地になって現実には大失敗することは枚挙に暇がない。でも現実では重大な選択の時の選ばなかった方は体験できないのだから、選んだほうが正しかったと思いたい、つまり自己正当化自体は自然とも言える。
あの時引き返せばこうはならなかった。

選択によって結果が変わるのはゲームが持つ特性であって、それをよしとするようなところがある。
それはゲームを続けてもらわない困るから、選択に対して台無しになるようなことはふつうはしない。
このゲームは要所要所で選択肢が与えられるけど、大して変化はなく結末も変わりはしない。
ゲームによる選択の善と、選択の意味性について根底から問うているのであって、変わっては困る。

ぶっ通しで敵を殺し続けるゲーム性も意味がある。このお話なら撃って撃って撃ちまくって5000人を見殺しにする必要がある。ステルスプレイできては困る。

それじゃ、このゲームの問いかける意味が変わってしまう。
「あんたのせいだ。」

ゲームの多くはプレイヤーのモチベーション維持のために話が英雄的で、気持よく銃撃つなりして敵を殺す事自体に疑問を持たなくなってしまう。
表面的にはスペックオプスだって英雄的な話でコンラッドをぶっころがせばいい。
でも、実際はプレイヤーのほうが敵で、混乱をさらに混沌へと追いやってるだけだ。
ゲームのインタラクションなんて嘘っぱちで、ただゲーム開発者の手のひらうえで転がされたうえに、プレイヤーの行動は無意味だって突きつけられる。
いやいや、ちょっと待って。

そんな中で唯一ゲームとして意味のある選択肢がある。
ウォーカーをどうするのかだけはプレイヤーに委ねられている。
プレイヤーの分身たるあの狂気のウォーカーを。
唯一あなただけがウォーカーを地獄から解放できる。

プレイヤーの行動は無意味じゃない。
自分はウォーカーの追体験をさせられて、いつの間にか虐殺に加担したヤツを助けてやることはできる。でも、ルーゴやアダムスは助けることはできない。
「俺のせいじゃない」

実際に生きていてようが、地獄の世界に捕らわれてループしてようと答えは同じ。
「俺のせいじゃない」

自分で銃をとって自殺するのはコンラッドと一緒だよ、責任の放棄じゃないか。
コンラッドを撃って自分の非を認めない。やってきたことはコンラッドと一緒じゃないか。
コンラッドだって信念を貫いて任務を全うしただけだ。
「俺のせいじゃない」

あんたはこのトラップ*から抜けれないんだ。
ウォーカーは救うことができても。
はっきりとは見えないドバイのように、もやもやした気持ちを残すんだ。
そして、そうなることを分かったうえで、このゲームはあんたに言うんだ。

「ドバイへようこそ」


*個人的な解釈。
コンラッドを殺して帰国エンドの場合はそれが地獄であれ現実であれ、ウォーカーは物理的にはドバイから脱するものだと思う

ウォーカーはその後地獄であれ現実であれ、ドバイの出来事に苛まれるだろうし、プレイヤーも自分のせいではないと非を認めないことになる。

自殺エンドの場合は結局ウォーカーに責任をなすりつけてるような気もするし、コンラッドと同じく死んで償うようで責任放棄してるような気もする。
ただウォーカーは精神的には開放されるとは思う。何選んでも基本的にプレイヤーはドバイに置き去りにされた気持ちに。
ちなみに初回プレイ時はアメリカ帰国エンドでした。