とにかく主人公のニコがかわいい。

ニコは健気な8歳前後の性別不明な子どもだ。
場面場面で美しい挿絵によって、より愛着が湧く。
Niko_pict

滅びゆく退廃的な世界で、ニコとともに世界を救えるか…
そして、ニコを無事に家まで届けられるか…

パズルアドベンチャーと呼ばれるストーリーがメインのジャンルで、戦闘やアクションは一切ない。
そのため、ゲームが苦手でも遊べる。2周遊んでも10時間以内で終わるボリューム。

唯一のゲームらしい要素であるパズルは難しくはないもの、変わっていているのでちょっと戸惑うかもしれない。どうしても行き詰まったら攻略を検索しても問題ない。

「moon」や「ゼルダの伝説 夢を見る島」が好きな人はハマるはず。
ゲーム要素が少なく削ぎ落とされている分、ダイレクトに来るものがあると思う。


なるべく予備知識がないほうが楽しめるゲームで、まずは買って遊びましょう。
今ならセール中!


以下ネタバレ
後半は考察。必ずゲームプレイ後に見ること


Neko





ちょっとトリビア その1
・Nikoの名前は、中性的な名前Nico、ニコラ・テスラ、ねこと日光から取られているらしい。
・ジョージはサイコロの目によって性格が違う。1.詩的でナルシスト 2.イライラしていて荒っぽい 3.疲れていて悲観的 4.陽気 5.親切で穏やか 6.カジュアルでフレンドリー


越境するメタ
ビデオゲームは映画や漫画、本などに比べるとはるかに主人公に同化しやすい。主人公がそのまま操作するキャラであるから、能動的に同化でき、その世界に没入していく。

そして、メタゲームは同化して没入する前提条件に揺さぶりをかける。たとえば、何の違和感もなく撃っていたものが本当に敵なのか、やってることは正当なのか。
これが異化だ。前提条件をひっくり返して、無意識だったものを意識させ、際立たせる。異化することで尖った、印象深いゲームになる。

しかし、このゲームは違う。ゲーム内からゲーム外へと越境していく。
パソコンのユーザー名がそのまま呼び名になるのも、操作キャラクターであるニコが直接私に語りかけるのもそう。太陽の話やパンケーキの話など他愛のない会話なのだが、温かい気持ちになる。ニコはあくまで、ゲームのプレイヤーというより一個人として話しかけてくれる。そして、ニコは私に操作されているのではなく、私の指示に従っているだけである。基本的には信頼してくれるが、たまに拒否されることもある。ここでまずプレイヤーとプレイアブルなキャラクターという垣根を越えてくる。

救世主ニコにその神であるプレイヤーの関係は、キリスト教における父=神、子=キリストを連想させるが、違う。そこに厳格さはなく、もっとフレンドリーな旅の友というような関係だ。プレイヤーもニコも別の世界の人間で、そういう意味では対等なのだ。

そんな信頼感のある関係性を持ってニコと一緒に旅をする。

預言者ボットにはじまり、技術主任、カラムスとアルーラ兄妹、点灯屋、キップやジョージとの出会いがある。崩壊に向かいつつある世界でも、この世界の住人は思うに任せないながらも、ちゃんと営みがあって生きている。

パソコンから終始ニコを元の世界に返すよう促す「存在」(Entity)と、世界を救うべく模索していた「作者」の足跡。

そして、ニコは家に帰りたい気持ちと、世界を救いたい気持ちで葛藤する。
旅路の果てにプレイヤーに提示されるふたつの選択肢。

太陽を破壊して、ニコを返すか。太陽を戻して、世界を救うか。
どちらもニコの望みだが、どちらかしか選べない。

世界を捨てて元の世界へ返すことが、後ろめたさを残してしまうのではないか。
そう思って、私は真実を伝え、太陽を戻す選択にした。ニコは素直に受け入れてくれた。

「チャンスは一度きり」=Oneshotだから。ゲームを起動しても、もう元には戻らない。








以下二週目のネタバレ
二週目のあるルートをクリアしたら読んでください。


Documents\My Games\save_progress.oneshotを削除して二週目に入ろう。
ここからが本番だ


OneshotRobo





ちょっとトリビア その2
避難所=Refuse
峡谷=Glen
不毛の地=Barrens

3つのエリアの頭文字をとると、RGB=赤緑青=光の三原色。ディスプレイはRGBで表示しているのでその比喩。各マップの発光体の色であるとともに、裏キャラのプロト、セドリック、ルエもその登場地域と同じ色をしている。
WorldMap



ニコはおぼろげながら、あなたのことを覚えている。持っていないはずの日記を持っている。
鉱山の奥へ行くと、Soltice Ending(至点エンド)と呼ばれるルートが発生する。
ここからガラリと展開が変わる。Solticeはパスワードにも使う単語で、訳では至点となっている。赤道から太陽が最も離れる日、つまり夏至と冬至のことだ。アルーラは至点の日に、友人(作者)からをキツネのぬいぐるみもらったという台詞がある。あの世界の太陽は塔に置くものだから、至点はないはずなのだが、動いたりするんだろうか…


世界がRGBのようにゲームそのもの自体をメタファーとしていて、「ビデオゲームはゲームを起動してないかぎりは動かない」というのをニコは途中でゲームを中断してる間、「真っ暗だった、怖かった」というのに表せられる。作者は一切でてこないけども、作者が色々と準備していた痕跡がそこかしこで見られる。これもゲームを準備する作者のメタファーだと思う。ゲームを作るのは作業が多くて大変だし、完成したところで、やはりプレイヤーに遊んでもらわないと成立しないのだ。プレイヤーもまた遊ばないことにはゲームが始まらない。プレイヤーあってのゲームだし、ゲームあってのプレイヤーなのだ。

言われてみれば当たり前なのだが、これがメタ構造を用いることで暗黙のつながりをあぶり出す。

実存性を信じると制御化される。よくゲーム中に出る制御化はtamedという英語で、飼いならすみたいな意味もある。これはキャラクターに命が吹き込まれることなんだと思う。プレイヤーが「ニコかわいい」という感情が想起されたなら、実態としてコードかたまりであったとしても、フィクションだとしても、偽りではないのだ。あなたがゲームをプレイしてない最中でも記憶として保持される。ゲームのキャラクターがゲームの枠を越える瞬間だ。

dontforget

alright



結局なにが「一度きり」=Oneshotなのか
一周目の「一度きり」はニコを元の世界に返すか、世界を救うかの二択。

二週目では意味が変わる。
「チャンスは一度きり」と言うのはワールドマシーン(=ゲーム)のセリフなのだ。だから、ゲーム外のファイルを削除して、ワールドマシーンが思い込んでいる「一度きり」を突破する。

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ワールドマシーン(存在)とニコはあわせ鏡のように対照的な存在で、前者が悲観的で内向的である。
ワールドマシーンが四角化するのはちょっとした反抗行為からはじまったが、世界=自分であるので自傷行為でもある。それが悪循環に陥ってしまった。ネガティブな人間にはなんとなく身に覚えがないだろうか。自分で自分のルールで生きたり、自分の世界にこもること自体は許容され、好きに生きること自体はひとつの美徳としてありだと思う。だが、やはりどうしようもなくなったら(なくなる前に)外側に頼っていいし、このゲームが示唆するに外部の力でしか解決できないのだ。自身の枠を解体して越境するには、危険が伴うこともある。ワールドマシーンもニコも混乱するし、犠牲を払った。それでもなさなければ得られないことがある。

脱線したが、元々「作者」が思い描いたエンディングを修復するのがSoltice Endingである。
ニコとワールドマシーンと世界の人々を同時に救う「予言」の成就が「作者」にとっての「一度きり」の希望なのだ。

そして、一周目でも二週目でも変わらないのが、あなたのゲーム体験は「一度きり」なのだ。同じことはひとつもない… そこにゲームも現実も違いはない。ニコを帰せば、三週目は戻ってこない。ワールドマシーンの記録に残るニコの残像でしかない。これでよかったんだという気持ちと、途方もない喪失感を味わう…

こうして、私とニコの冒険はかけがえのない思い出となった。ありがとう。
NikoMemory

MeMemory